a tempo-web
TOP メルマガ登録
FORUM BODY HEART BEAUTY FOOD personal care check it! From magazine “a tempo”
HEART
 
働く女性に元気をプラス! 連載エッセイ Back Number
小林由紀子
私の仕事はドラマプロデューサー。20歳の頃からテレビの現場でこまねずみ(!)のように働いて、40数年が経ちました。筆舌に尽くし難い苦労も楽しさも、いっぱい経験してきました。今はドラマを作る一方、女性月刊誌で、働く女性の悩みを訊く連載を持っています。8年の間に会った女性は約200人。その女性たちのエピソードや私の経験裏話を綴って、元気を差し上げましょう。
<プロフィール>
1940年東京生まれ。白百合女子短期大学卒業後、60年、NHKに入局。20代は下積みの仕事に没頭し、30代では両親の介護も経験した。41歳でプロデューサーになり、『おしん』『たけしくん、ハイ』『はね駒』など数々のヒットを生み出す。番組制作局長就任後、現場主義を貫くために独立。現在もドラマ制作の第一線で活躍中。著書に『サラリーウーマン幸せ研究所 LIFE編』『サラリーウーマン幸せ研究所 WORK編』(共に日本経済新聞社刊、日経ウーマンとの編著)など。
*… vol.1「自立って、何?」 …*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
今回から6回、皆様にお目に?かかれること、私もとても楽しみです。
どうぞよろしく。

私は、この8年間ある月刊誌で、働く女性たちの悩み事に答えてきました。
もう200人近い方たちにお会いしたでしょうか。20代、30代の方が多いの
ですが、職場や自分のライフスタイルに関しての相談事に乗っています。
正社員の方もいれば、パートや派遣社員の方など、さまざまな働き方を
しているのですが、悩みに共通している原因が二つほど挙げられます。
一つは、自分自身がどう生きたいか、ではなく周りの人の目や評価を気
にしていること。二つ目は親の影響を受けているという自覚がないこと。

女性が働く環境は、私が社会に出たときに比べると格段に良くなってい
ます。雇用機会均等や、育児休暇、介護休暇の保障、あまり意味がない
ようには思いますが「男女共同参画推進」などという、お役所の自己満
足みたいな旗も掲げられています。女性に対する期待度がここ20年間で
右肩上がりになりました。ところが当の女性たちはだんだん自信を失い
かけています。
『そんなに一生懸命働かなくてもいいんじゃないの…』
そのくせ、自分が良く見られたい、キャリアを積みたいという願望だけ
がのさばります。貴女が本当にしたいことって何なのでしょう?

もう一つの親の問題。近頃は兄弟の少ない家庭に育ち、みんな親に対し
て「いい子」を装うんですね。反抗なんてもってのほか、親の引いたレ
ールを外さないことがいいと勘違いしてはいませんか? 自分の事は自
分が責任を負う。そういった単純な「人間としての生き方」の基本を学
んでこなかったことが、自立を妨げているのではないでしょうか。

もっと自分を見つめてください。そうすれば些細な悩み事は雲散霧消す
るでしょう。
*… vol.2「20代は『社会の小学生』」…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
2回目の今回から最終までの5回、私の20〜60代までを10年毎に区切って
経験談をお話しようと思います。今日は20代から。

遥か40数年前、私は短大を出てNHKに就職しました。ちょうど二十歳です。
今テレビといえば生活の一部のようになっていますが、その頃はまだテ
レビは生まれて8年目。職場は「テレビで何が出来るのか」という試行錯
誤の中にありました。一言で言ってしまえば、私は入局してほぼ5年間は、
先輩や上司の言うことにただひたすら従っていただけでした。テレビと
いうもの自体が暗中模索でしたから、仕事の目標となることが分からない。
ロールモデルになる女性は皆無。ともかく目の前にある仕事をゼロから
覚えてゆく、という毎日でした。

これが私にとって、最大の幸運だったと思います。余計な理屈をこねず、
仕事を身体で感じてゆく。もちろん残業が150時間に達することもしばし
ばでしたが、無私になることの大事さを学びました。

けれど不運もまた突然襲ってくるものです。母親がパーキンソンという
難病に罹ってしまったのです。25歳の時でした。それから10数年経って
母が亡くなった後になって私は気が付いたのですが、若く体力のあるう
ちに母を看取ることができたことは、とてもラッキーだったのではない
か、と。

20代は、社会に出ればまた1年生です。見るもの聞くものを新鮮に感じ取
って、そこに自分を添わせみる。面白がってみる。小学校で学問の基礎を
学んだように、社会での20代をそう考えれば、とても楽になりませんか? 
先輩たちは貴女が未熟だと分かっています。急いで結果を出そうとしな
いで、教えてもらえる事に感謝しましょう。

*… vol.3「人生は30代次第」…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
今回は30代の乗り越え方についてお話しようと思います。このエッセイを
お読みになっているメンバーは、30代の方が半数を越すと聞いていますの
で、私もちょっぴり力が入ります。
「乗り越え方」と言いますのは、人生の中でも30代が最も波乱万丈、成り
行きによってどん底に落ちたときどうするか、ということです。
仕事中心に生きている方は、かなりのベテランになっているのに相応の待
遇を受けられない不満が蓄積しているかもしれません。将来展望が見えな
い苦しさがあるでしょう。結婚して子育て真っ最中の方は、育児や経済的
不安を抱えているかもしれません。

私の30代、まさにどん底でした。20代半ばから始まった難病の母の介護が
続きました。仕事はテレビの現場を外されて、デスクワークに明け暮れて
いました。本当に嫌気がさしはじめて「辞める」の3文字が浮かびかかった
途端、母が亡くなり、1年の間を置かず父が亡くなりました。
茫然自失の中で現場復帰を果たしたのですが、怒涛のように押し寄せる仕
事に追われ、寝る間もないほどの極限状態が5年ほど続くことになりました。

そんな中、私を精神的に支えてくれたのが、「仕舞」でした。
耳慣れない言葉かもしれません。お能はご存知ですね?「仕舞」は、お能
の後半にシテ(能の主役)が舞う舞のことです。その部分だけのお稽古事
があるのです。私は10歳ぐらいから手ほどきを受けてきて、どんなに忙し
いときも続けていたのですが、これがどん底の私の、心身のバランスを保
ってくれたのです。
今、『ハケンの品格』というドラマが放送されていますね。あの中で主演
の篠原涼子さんがストイックに仕事をするかたわら、フラメンコを踊って
います。その時の開放された表情、その変貌に驚かされませんでしたか?

心身ともに不安定な30代に、自分を救うもの、絶対的に好きと思える事を
一つだけ持っては如何でしょう。
きっと明るく素敵な40代が待っていますよ。
*… vol.4「成熟の40代」…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
今日は40代のおはなし。このサイトの読者の方は20代、30代を合わせて
8割以上ということですから、殆んどの方にとって「未知との遭遇」に
なってしまいますね。でも、何時かはその年が巡ってくるわけですから、
想像逞しく将来の目安にしていただけると、ちょっと役立つかもしれま
せん。

40代は人生の安定期、成熟期でしょう。もしそうでなかったら、その前
にやり残したことがあるか、少し晩稲(おくて)なのかもしれません。
私が40代になって、途端に身辺は大変わりしました。どん底の30代から
突然41歳で管理職。ヒト、モノ、カネを管理する立場になって、本当に
狼狽しました。昨日まで同輩、或いは先輩だった人が部下になり、あら
ゆる事を決定しなければなりません。しかもその当時(1980年代前半)、
NHKという組織は圧倒的に男社会でしたから、「女に何が出来る」とい
う怨嗟の目もありました。
 
ただ、私が自信を持てたことがあります。自分でどん底だと思っていた
30代での死に物狂いの働きが、実に多くの経験と判断力を養ってくれた、
ということです。知らず知らずの内に、どん底だと思った環境が、私を
育ててくれていたのですね。うろたえたのはほんの短い期間で、私は自
分が作りたいドラマの制作に邁進しました。驚くほど脳が活性化してい
きました。「実績」或いは「成果」というものが残せたのは、まさに40
代だったのです。既に伝説化していますが、連続テレビ小説『おしん』
は、私が44歳のときのドラマです。
 
40代に自分の全精力を注がないと、脅かすようですが、後は下り坂です。
仕事ばかりでなく、おそらく結婚生活にも同じことが言えると思います。
平均的な家庭では、お子さんが中学、高校受験期真っ只中、精神的にも
経済的にも正念場ですよね。

20代、30代で成果が出ないと焦ることはありません。ただ、この40代に
本当の成果を出すための準備を、今からおさおさ怠りないように。
*… vol.5「何かを変えたいとき」…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
今回は私が50代に入ったときの一大事をまず、お話しましょう。
このエッセイを書き始める前に、私の経歴を告知したと思いますが、
20歳のときからずっとNHKという組織で働いて来ました。紆余曲折
ありながらも、40代でプロデューサーに昇格して、順風満帆といっ
た日々を送っていました。ドラマを作ることがおもしろくておもし
ろくて、調子に乗っていました。
ところがある日のこと、人事異動で部長となり、翌年は一気に局長
に抜擢されたのです。完全に管理者側、大好きなドラマが作れなく
なりました。

ものすごく落ち込んだ私は、何の迷いもなく「退職」の道を選びま
した。31年間勤めた職場に愛着が無かったわけではありませんし、
正直収入の道が閉ざされることに不安が無い訳ではありませんでし
た。でも私は、「モノを作る」という人生の「筋」を通したかった
のです。で、裸一貫になりました。

このことは、私にとって最大のピンチでしたが、それはまた最大の
チャンスでもありました。大きな組織の中で、いわばヌクヌクと生
きてきた自分に渇を入れる。一つの組織から出れば、外の世界は無
限に広いのだ、そこでそれまで自分が培ってきたことがどれだけ通
用するのか…。武者震いするほどの緊張と楽しさが交じり合いまし
た。

皆さんの中にも、今の状況に飽き足らず、もっと別の世界があるの
ではないか、もっと自分を生かせる仕事があるのではないか、と迷
っている方が多くいらっしゃるでしょう。でも大事なのは、何かを
変えたいと思うとき、どれだけ自信があるか、どれだけ「筋」を通
せる技能があるかを見極めなければなりません。変え時、というこ
ともあるでしょう。

裸一貫になってからちょうど15年、いまだに自分が世間に通用して
いるのか、私には分かりません。
*… vol.6「男性教育指南」…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
タイトルをご覧になって、ちょっとぎょっとされましたか?私のエッセイ
最終回は、60代の我が夫婦の、少々恥さらしなお話で締めくくろうと思い
ます。

私が結婚したのは44歳のとき。世間の常識から言えば少々晩婚といえるで
しょう。ほぼ同い年の夫との間に子供は作りませんでした。結婚してから
驚きました。夫は家事全般、まったく出来ないのです。しない、のではな
くまったく経験が無かったのです。学生時代は殆んど寮生活、就職後は転
勤のたびに社宅住まい、超多忙で寝るだけのために家があったようなもの
でした。衣類はすべてクリーニング屋へ。食事は社食と居酒屋。かろうじ
て冷蔵庫だけが唯一の家電でした。(と、彼は白状しました)

すっかり仕事からリタイアした今、「毎日が日曜日」の夫を眺めながら、
私は腹を立てるのをグッと抑えて、少しずつ家事教育を始めました。洗濯
はクリアしました。だって、衣類を入れて洗剤を注入してボタンを押せば
いいことですから簡単です。洗車と庭掃除も何とか続いています。一番手
に負えないのが料理です。包丁はまだ一度も持ったことがありません。男
子厨房に入らず、『私食べる人』の典型的な古い男ですから、教育には相
当の時間がかかりそうです。

世の中では、団塊の世代の定年が騒がれていますが、実はこれからの数十
年、どうやって穏やかで実りのある老後を過ごせるかは、夫が家事を分担
してくれるかどうかにかかっています。妻に先立たれたら一番惨めですよ
ね。

これをお読みの若い皆さんにも必ず訪れる「その時」を見越して、これか
ら結婚する方、或いは結婚していらっしゃっても、できるだけ早く「家事
のできる男性」の教育を始めてください。それがお互いの長い人生の幸せ
の為なのですから。

短い間でしたが、ご愛読くださり、ありがとうございました。
※ここに掲載されている文章は一切の複製・転用を禁止いたします。
メルマガ登録ページへ
めるまがエッセイ一覧へ
a tempo-webとは woman's links サイトマップ 利用規約 個人情報保護
はけんけんぽTOP