イギリス滞在中にカウンセリングを受ける機会に恵まれました。私のカウンセラーは、初老の背がすらりと高いイギリス紳士でした。とても気さくで、ユーモアにあふれる人です。彼はカウンセリングの中で、私に二つの映画を紹介してくれました。そして、少し古い映画だからと自分のビデオを私に貸してくれたのです。ひとつは「Shirley
Valentine」(日本語タイトル:旅する女 シャーリー・バレンタイン)、もうひとつは「Educating Rita」(日本語タイトル:リタと大学教授)でした。
なぜ私のカウンセラーがこの映画を私に勧めてくれたのか、その理由は彼も言わなかったし、私も特に聞きませんでした。ただ、彼は「あなたの話を聞いていたら僕の大好きな映画を思い出したんだけど、よかったら観てみる?」と言いました。私は「是非観たい」と答えました。
その映画はどちらも、イギリスのごくごく普通の庶民的なワーキングクラスの家庭の主婦、シャーリーとリタの物語でした。ふたりとも平凡ではあるけれど、それなりに幸せに生活していて、ただ「自分はこのままでいいのか」という漠然とした不安感を心のどこかに抱いて過ごしているのでした。
ある日ふとしたことがきっかけで、ふたりとも自分を取り戻すための第一歩を踏み出すことになります。旅立ちの朝、シャーリーは鏡の前で自分のことを結婚前の名前で呼んでみます。「シャーリー・バレンタイン」。そして決意を固めて旅立ってゆきます。
リタの方はと言うと、とてもなまりの強い英語を話すワーキングクラスの女性。「このままではいやだ」と立ち上がり、一念発起、オープン・ユニバーシティに入学します。日本のNHK放送大学に似たものかもしれません。普段はテレビを通じて独習し、一定期間スクーリングを受けながら単位を取得していきます。リタはそのプログラムを通じてある大学教授と出会います。彼は一流大学の教授でしたが、生きる意味を見失いアルコール依存に陥っていました。
映画は、その二人の出会いからリタが人間的に成長し生きがいを見出していく過程、そしてリタを指導することを通じて、この大学教授も自分の生きがいを取り戻していく過程を描いていました。
どちらも単純な筋書きではありますが、なぜか私の心に響きました。カウンセラーに借りたビデオはすぐに返しましたが、その後、私はその2本のビデオを自分で買い、せりふをおぼえるほど何度も何度も観ました。自分の姿をシャーリーとリタに重ね合わせていたのかもしれません。
その大好きなビデオを、日本に帰る時に私は手放しました。「そろそろシャーリーとリタから自立しなければ」と思いつつ、正直なところ「私はシャーリーとリタがいなくても頑張れるのか」と不安でした。「観たくなったらまた買えばいい」と自分に言い聞かせ、帰国前の引越しセールの日、棚の上に並べました。
あれから2年が経ちますが、まだ買っていません。自立して、しっかり自分の生きがいをみつけているから観なくてすんでいたのではなく、何だか観たくない、シャーリーやリタに顔向けできないような気分だったのです。
でも最近、また二人に会いたくなってきました。インターネットで見ると、まだ売っています。思い切って買おうか?旧友に久しぶりに会うような気がしています。シャーリーとリタに助けられて、またもうひと頑張りできるような、そんな気がしているのかもしれません。 |