原始人が危機に陥ったとき、もっとも生き残る可能性がある行動を選択できるように仕組まれた"指令"が「感情のプログラム」です。危険に遭遇すると、体は出血や激しい運動に備えます。思考も単純で早い決断をする(それしかできない)ようになり、感情はその予定した行動(例えば、逃げる、戦う)を続けられるような気持ちにさせます。つまり感情は体、頭、心が一体となって、危機に対処できるような緊急指令として働くのです。
ではなぜ感情に「表情」がついているのでしょう。 人は悲しいときは悲しい顔をして、涙を流します。怒ったときは怒った顔、怖いときは怖い顔をします。 悲しい顔をして涙を流しても、自分の行動にはあまり関係がなさそうです。
ヒトが固体(一人)で活動する限りにおいて、表情の持つ意味はほとんどないのでしょう。 しかしヒトは、一対一で猛獣や他の種族と戦う戦略は取らなかったのです。
ヒトが選んだのは、複数で協力して外敵と戦い、獲物を得る戦略〈方法〉でした。 そのためにコミュニケーションが必要だったのです。 自分がピンチのときは助けを求めるサインが、敵が近くにいるときにはそれを知らせるサインが、安全なときにはそれを伝えるサインが必要だったのです。
最終的には頭脳を発達させたヒトは、言葉という強力な武器を発展させましたが、それ以前は、表情が大切なコミュニケーション手段でした。
実際現代人においても、我々が話しをするとき、話された言葉の文章上の意味から伝わる内容は、7%、声の調子やスピードで伝わる内容は、38%、残りの約55%は表情や身振り手振りで伝わるといいます。
表情の原動力になっているのは、そのヒトの感情です。つまり感情には、仲間に自分の状態を伝えるという重要な役割があるのです。
特に自分がピンチの状態の時は、その感情を伝えたいという欲求(感情の伝達欲求)が大きくなります。原始時代ヒトは伝えないと死んでしまったからです。
その伝えたいという欲求の中身は、「表現したい」という欲求(表現欲求)と、「確実に伝わったことを知りたい」という欲求(確認欲求)に分かれます。
例えばあなたが、仕事上の問題で上司に怒られたとします。そのとき沸き起こった感情(悔しさ、怒り、情けなさ等)を同僚に話し、不満をぶつけたとしましょう。(表現欲求)
その同僚が「あの上司が怒るときは、君にも落ち度があったのじゃないの。最近君は集中力が足りないよ。」とあなたに言ったとしたら、あなたの気持ちは、同僚に伝わったと感じられるでしょうか?
(確認欲求・不満足)それでは「あの上司は気分屋で困るよなぁ。もう少し努力の過程を認めて欲しいよな。」といわれたら、ここで始めて表現欲求も確認欲求も満たされ、感情の伝達欲求が満足されるのではないでしょうか。
もちろんこの場合も、上司に怒られた悔しさ、怒り、情けなさの感情そのものが消えてなくなるわけではありません。しかし、表現しない場合は、この感情の伝達欲求が満たされないことにより、あなたの原始時代の無意識が、死の危険を余計に感じてしまい、感情のプログラムそのもの(特に不安のプログラム)を活性化させる悪循環に陥るのです。
もし、死にそうなほど苦しいときに、そばに誰かいるのに「助けて」と言えない状況であれば、死ぬ確率はいっそう高くなります。感情の伝達欲求が満たされないということは、原始の無意識は(死に近づいている状況)と判断するのです。
あなたが感情を表現すること、誰かに共感してもらうことは、不安な気持ち、不安定な気持ちの悪循環を、安定した気持ちの循環に切り替えるための、重要なスイッチになるのです。
「納得いかない」「腑に落ちない」と感じ、動けない、窮屈であると感じたとき、あなたの中の"感情"という友人に声をかけてみましょう。「お前は今、どんな気持ちなんだ?」その感情の声に耳を傾けてみて下さい。そして感情の伝達欲求を満たし、無意識の不安を解消してみましょう。
「私は〜と感じる。」「私はこの人事異動には不満だ」「私は上司の提案は受け入れるが、あの言い方には腹が立つ」
それからもう一度その問題と向かい合ったとき、あなたが窮屈だった以前とは違うものが見える可能性が出てくるのです。
(参考資料:「愛する人を失うとどうして死にたくなるのか」下園壮太・著 文芸社) |